海の日といえば、海フェスタ!海の貴婦人といえば帆船

海の日について

休日は嬉しいですよね!おまけに三連休なんてある月には、もうワクワクしちゃいます!7月の祭日『海の日』はいつでしょう~?

それは、七月の第三月曜日 です。つまり土日をいれると三連休になるんですね!祝日として制定されたのは平成7年のこと。条文では、「海の恩恵に感謝するとともに、海洋国家日本の繁栄を願う。」とされています。『海の日』は海で遊びましょう~♪という意味ではないんですね。休みだ!ラッキー!!ではなく、日本は四方を豊かな海に囲まれている。海からたくさんの恩恵をいただいているので、この『海の日』は改めて海に感謝しましょうね!

でもどうして7月なの?やっぱり夏だから??とも思えますが、『海の日』になった由来もあるのです。明治天皇の時です。ちなみに明治天皇は第122代天皇です。(1852年11月3日~1912年7月30日)明治新政府、近代国家日本の指導者、象徴として近代日本の父として仰がれていました。そんな明治天皇ですが、古来の慣例をやぶっり次々に近代日本の改革を進めたこともあり、近代日本の父として敬愛されていたんですね。例えば、奈良時代に聖武天皇が肉食の禁を出してからというもの、皇室では牛肉と牛乳がタブーだった中、明治天皇は自ら牛肉、牛乳を飲食することによって、新しい食生活のあり方を国民に示してくれたのです。そして日本各地を行幸されました。1876年、明治9年)、明治天皇は、五十日をかけて東北地方を巡幸されました。この時、はじめて船に乗船されたのですが、7月20日は、明治天皇が青森から函館を経由して横浜に到着された日です。7月20日は「海の記念日」と長い間呼ばれてきましたが、平成7年の法改正で翌年より「海の日」として祝日になりました。そんな由来のある『海の日』ですが、各地でいろいろなイベントが催されます。

2011年で調べてみますと、北海道・東北エリアでは、【北海道】マリン・フェスタin小樽 (4つの会場で開催。開催中はマリンスポーツ体験やフェリー船内一般公開)【北海道】 函館港花火大会(海の日制定記念の花火大会で、サウンドシステムによる音楽と花火のコラボレーションが楽しめます)【宮城県】塩竈みなと祭(日本三大船祭りのひとつです。塩竈みなと祭。松島湾で繰り広げられる勇壮な神輿船パレードは圧巻。)【青森】津軽風待ち湊 ふかうらヤットセ(江戸時代に北前船の風待ち湊として栄え、日本海を舞台にした交易により賑わった青森県深浦町の夏イベント)関東甲信越エリアでは、【千葉県】白浜海女祭り (手にたいまつを掲げた海女さんが夜の海を泳ぐ「海女の大夜泳」がすごい。【千葉】佐原の大祭夏祭り、八坂神社祇園祭(関東三大山車祭りの一つ。高さ4mにもおよぶ大人形を乗せた華やかな山車は必見です。)【埼玉】本庄祇園まつり (各町内から出される神輿や子供神輿などが町を練り歩き)【群馬】鬼石夏まつり(勇壮な屋台囃子としても知られている北関東最大規模の夏祭り)【神奈川県】横須賀うみかぜカーニバル (いろいろな水上乗り物に無料体験乗船できるイベント)【神奈川県】浜降祭(はまおりさい)(合同神事(茅ケ崎・寒川の各神社)の祭りで約40基ほどの絢爛な神輿が海中に入り、禊の神事を行います。)【東京都】東京海洋大学「海の日」記念行事(東京湾ミニクルーズや各研究室・実験室が公開) 【東京】第60回うえの夏まつり (まつりパレードやとうろう流しがあります。)【長野】海の日連休・カヌー/カヤック体験 (野尻湖でカヌー体験ができるイベント。)【長野県】御嶽神社例大祭(御嶽神社で神事や奉納相撲が行なわれるほか、巨大な樽みこしが町を練り歩く姿は勇壮そのもの。)【富山県】帆船海王丸パーク 総帆展帆(年に年に数回行なわれる29枚の帆を全て広げた海王丸を見る事が出来るイベント。)【石川県】七尾港まつり(港の振興と市勢の発展を願い開催されているお祭り。) 【新潟県】南魚沼市兼続公まつり( 直江兼続公の生誕地、南魚沼市の夏季最大のお祭り。)関西地区では、【兵庫県】海の日名古屋みなと祭 (ステージイベントでのコンサート、子供獅子達によるみこしパレード、フィナーレには音楽と花火をシンクロさせたメロディ花火。)【大阪府】大阪港みなとまつり (ヨットの体験乗艇や大阪市の帆船「あこがれ」によるクルーズ等が楽しめるイベント。) 【兵庫県】みつ海まつりサンセットフェスティバル (ステージイベントでよさこいが披露。仕掛花火がすごい。)【兵庫県】Kobe Love Port みなとまつり (世界各国の料理を楽しめる「国際屋台」や、みなとこうべの夜を彩る「夢提灯祭」)【兵庫県】浜坂川下祭花火大会 (江戸時代からの歴史があり、珍しい「麒麟獅子舞」が奉納されます。)【京都府】やわた太鼓まつり(「よっさー、よっさー」の掛け声とともに、2トンにも及ぶ屋形みこしを担いで練り歩く姿が見れます。【和歌山県】第58回港まつり花火大会 (毎年海の日に開催。約3000発の花火が打ちあがる花火大会。)【兵庫】川下大祭 (江戸時代中頃より伝わる厄払いの祭り。) 中国・四国・九州では、【徳島県】小松島港まつり花火大会(松島市の一大イベントで、自衛隊ヘリコプターの展示飛行、阿波踊り・民踊の夕べや花火大会などが開催) 【香川県】第46回かんおんじ銭形まつり (「寛永通宝」の大砂絵で有名な観音寺市の行事。)【佐賀県】第59回九州花火大会(唐津城の間近で行なわれる花火大会)【島根】玉造温泉夏まつり (温薬師祭典と七福神まつりが開催され、川辺の特設ステージで「安来節ショー」が上映されます。)

この他にもいろいろなイベントがありますが、2012年『海フェスタおのみち』という尾道、福山、三原の三か所で海の祭典も開催されました。瀬戸内のほぼ中央に位置する尾道、福山、三原ですが、古くから瀬戸内の代表的な中継港として栄えた町です。そして、海上交流によるさまざまな文化を取り入れながら、伝統的な造船技術を育む、海洋文化都市として発展してきました。そして 現在では、国内屈指の造船業と造船関連産業及び海運業の集積地として発展しているため、昔も今も、海とのかかわりが深い地域です。そんな地域が催した「海フェスタおのみち」はどのようなお祭りだったのでしょうか。

最大潜航深度7000mまで潜航調査することができる無人探査機「かいこう7000II」の支援母船の「かいれい」(海溝域の海底調査を行う深海調査研究船)の一般公開、国立広島商船高等学校による練習船の一般公開、立弓削商船高等学校によるハイテク練習船の体験航海と、船好きにはたまらない内容です。そして、帆船「海王丸」のセイルドリル(岸壁に停泊したまま帆を張る訓練)や乗船見学も行ったようです。この『海フェスタ』ですが、1986年(昭和61年)から、主要港湾都市において「海の祭典」として行われていたそうです。2003年(平成15年)に「海の日」が国民の祝日として7月の第3月曜日となったことに伴ったことによって「海フェスタ」に改称されたそうです。 例年、記念式典には皇族からの出席がありますが、秋篠宮ご夫妻が出席されていることが多いです。過去にどんな所で行われていたのでしょう!

『海フェスタ』

2003年(平成15年) 第1回 兵庫県神戸市 2004年(平成16年) 第2回 福岡県福岡市 2005年(平成17年) 第3回 沖縄県那覇市 2006年(平成18年) 第4回 富山県富山市 2007年(平成19年) 第5回 愛知県名古屋市 2008年(平成20年) 第6回 岩手県大船渡市・陸前高田市・釜石市・住田町・大槌町 2009年(平成21年) 第7回 神奈川県横浜市 2010年(平成22年) 第8回 長崎県長崎市・五島市・上五島町 2012年(平成24年) 第9回 広島県尾道市・福山市・三原市 2013年(平成25年) 第10回記念大会 秋田県男鹿市

『海の祭典』(海フェスタに改称前)

1986年(昭和61年) 第1回 福岡県北九州市 1987年(昭和62年) 第2回 兵庫県神戸市 1988年(昭和63年) 第3回 愛知県市名古屋市 1989年(平成元年) 第4回 神奈川県横浜市(この時皇族からは 皇太子徳仁親王)1990年(平成2年) 第5回 東京都 (今上天皇・皇后)1991年(平成3年) 第6回 新潟県新潟市 (この時より秋篠宮妃紀子様も列席)1992年(平成4年) 第7回 宮城県仙台市 1993年(平成5年) 第8回 北海道小樽市 1994年(平成6年) 第9回 大阪府大阪市 1995年(平成7年) 第10回 鹿児島県鹿児島市 1996年(平成8年) 第11回 三重県四日市市 1997年(平成9年) 第12回 徳島県徳島市 1998年(平成10年) 第13回 広島県広島市 1999年(平成11年) 第14回 福井県敦賀市 2000年(平成12年) 第15回 静岡県静岡市 (この時皇族の出席はありませんでした)2001年(平成13年) 第16回 青森県青森市 2002年(平成14年) 第17回 石川県金沢市・七尾市

海王丸のセイル・ドリルですが、海王丸はどのような船なのでしょう?!

大型練習帆船です。日本の航海練習船として、初代海王丸2代目の海王丸II世とあります。初代海王丸は1930年(昭和5年)進水、約半世紀にわたり「海の貴婦人」として親しまれてきましたが、1989年(平成元年)引退、海王丸II世がそのあとを引き継いでいます。1989年に引退した海王丸は、海王丸パークで展示されています。場所は富山県射水市にある公園です。伏木富山港の新湊地区(富山新港)内に建設されました。

海王丸は1930年(昭和5年)2月14日に進水しました。その当時は現在のようなバレンタインデーが普及していたかどうかは分かりませんが、進水日が2月14日だったということもあり、海王丸船尾近くのタイムベル(時鐘)を鳴らすと、「幸せの鐘 タイムベル」と呼ばれ、『恋人の聖地』愛のパワースポットと呼ばれています。進水から59年余りの間に百万海里以上を航海するなか、1万人を超える海の若人を育てきた海王丸。タイムベルは、現役の練習船時代には、訓練生へ鳴らす回数で時刻を知らせていたものです。タイムベルは歴代の訓練生、そして今でもボランティアや乗組員の手で丁寧に磨かれているので、「海王丸」などの刻印も消えかかっていますが、真ちゅう色に光り輝き、海辺に深みのある穏やかな音色を響かせてくれます。大勢の船乗りに見守られてきたことから、タイムベルには不思議なパワーがあるといわれているようです。鐘を鳴らす為に、愛の聖地を訪れる男女のカップルも多いようです。姉妹船として日本丸がありますが、どのような歴史があるのでしょう~

(初代)海王丸

1927年(昭和2年)3月、鹿児島県立商船水産学校の練習船「霧島丸」が宮城県金華山沖にて暴風雨のため沈没、乗組員および生徒の合計53名が全員死亡という大惨事でした。この事故が契機となり、1928年(昭和3年)大型練習帆船2隻の建造が決定されました。2隻の建造費は合計182万円、当時の国家予算(一般会計予算:約8億7千万円 軍事費、国債費を除く)からすると破格の大型プロジェクトでした。

建造は神戸の川崎造船所艦船工場(現在の川崎造船神戸工場)が担当。設計はスコットランドのラメージ・エンド・ファーガッソン社。1930年(昭和5年)1月27日に進水した第1船は「日本丸」、2月14日に進水した第2船は「海王丸」と名付けられました。海王丸は1930年10月から12月にかけてミクロネシアのトラック島へ第一回遠洋航海を行っています。1974年(昭和49年)以降は老朽化が進んだため、遠洋航海の規模縮小を余儀なくされましたが、それ以前には戦後初の遠洋航海として1956年(昭和31年)春にロサンゼルス、1960年(昭和35年)日米修交百年祭参加遠洋航海、1961年(昭和36年)のロス-ホノルル間国際ヨットレース参加遠洋航海、1967年(昭和42年)カナダ建国百年祭参加遠洋航海など航海してきました。引退は1989年(平成元年)9月16日退役。海洋練習船としての役割は海王丸II世に引き継がれました。

日本丸、海王丸には最初は船首像がありませんでしたが、1985年(昭和60年)に日本丸II世が就航した際に、日本丸II世と海王丸に船首像が取り付けられることになりました。これらの船首像は東京芸術大学の西大由教授によって制作され、日本丸II世の船首像は手を合わせて祈る女性の姿をした「藍青」、海王丸の船首像は横笛を吹く女性の「紺青」。1989年に海王丸が引退した際に、船首像の「紺青」は海王丸II世に引き継がれることになりました。

さて、海王丸の後継として就航したのが、海王丸Ⅱ世です。1989年(平成元年)に全通船楼甲板船として就航。先代の海王丸に比べて大型化となりました。性能もかなり改善されて、日本丸II世で培われた建造技術をさらに進歩させたものとなりました。帆走時には抵抗となるプロペラの迎え角を水流に平行とすることによって抵抗を減少させる、フェザリング機能を有する可変ピッチプロペラの採用などによって日本丸II世をしのぐ帆走性能を得ることができました。その年で最速の帆船に贈られる「ボストン・ティーポットトロフィー」を1990年、1991年、1994年、1995年と4回受賞(日本丸II世は3回受賞)しています。そのなかでも1995年には124時間で1394マイルを帆走する記録を打ち立てることができました。そんな海王丸II世ですが、先代の海王丸との大きな違いは、国有ではなく、民間の寄付によって建造されたことではないでしょうか。税金と民間の寄付によって建造された経緯で年に何回か一般のセールトレーニングの受入をしています。 外洋でのトレーニングに一般から参加できるのは年に一回のみですが40日間にも及ぶ太平洋横断のセールトレーニングは魅力的です。(仕事や家庭を約1ヶ月離れるということになりますが・・)現在は独立行政法人航海訓練所に用船契約される形で運航されています。前述の一般社会人向けの体験航海・遠洋航海コースも実施していますが、海事教育機関の練習船のため、実習生の参加人数により一般募集枠が少なくなる場合もあります。

海王丸

竣工 - 1930年 造船所 - 川崎重工業神戸造船所 船型 - 4檣バーク型帆船 総トン数 - 2238.4トン 全長 - 97 m 全幅 - 13 m メインマスト高 - 46 m(水面からの高さ)総帆数 - 29枚 帆の総面積 - 2050   m2  ディーゼル機関による機走可能

海王丸II世

竣工 - 1989年9月15日 造船所 - 住友重機械追浜造船所浦賀工場 船型 - 4檣バーク型帆船 航海速力 - 13ノット(約)総トン数 - 2,556トン 全長 - 110.09 m 垂線間長 - 86.0 m 全幅 - 13.8 m 型幅 - 10.7 m

総帆数 - 36枚 帆の総面積 - 2760 m2 メインマスト高 - 43.5 m(船楼甲板からの高さ)最大搭載人員 - 199 名 航続距離 - 9,800海里(約18,150 km)主機 ディーゼル機関(1,500ps×2基)による機走可能

補足 -日本丸II世との外見の違いは「船首像」「船体のライン数」「救命艇の形状」「後部フード(舵輪の屋根)の形状」

では、海王丸の姉妹船の日本丸はどのような船でしょう?!

建造、設計は海王丸と同じです。設計はスコットランドのラメージ・エンド・ファーガッソン社、建造は神戸の川崎造船所が担当。1930年(昭和5年)1月27日に進水した「日本丸」は同年3月31日に艤装を終え、ミクロネシアのポナペ島へ初の遠洋航海を行いました。

その後、太平洋を中心に訓練航海に従事していましたが、太平洋戦争が激化した1943年(昭和18年)に帆装が取り外され、大阪湾、瀬戸内海にて石炭などの輸送任務に従事することとなりました。戦後は海外在留邦人の復員船として25,428人の引揚者を輸送を行いました。1950年(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争では米軍人や韓国人避難民の輸送といった特殊輸送任務にも従事しています。1952年(昭和27年)、ようやく帆装の再取り付けがなされ、翌年春にはハワイに向け、戦後初の遠洋航海を行いました。

1984年(昭和59年)9月16日の退役までに、約183万kmを航海し、約11,500名の実習生を育てあげた日本丸。その後、海洋練習船としての役割は後継の日本丸II世(現・日本丸)が担っています。引退した日本丸は横浜市の日本丸メモリアルパークにて展示公開されています。

さて、日本丸の後継として就航したのが日本丸II世です。海王丸Ⅱ世より5年早く、1984年(昭和59年)に日本丸II世が就航しました。日本丸II世は帆装艤装設計から製作まで、すべて日本国内で行われた初の大型帆船です。建造は住友重機械工業浦賀工場で建造されました。先代の日本丸に比べて帆走性能が大幅に向上、世界でも有数の高速帆船として名をつらねることになりました。その年で最速の帆船に贈られる「ボストン・ティーポットトロフィー」を1986年(昭和61年)、1989年(平成元年)、1993年(平成5年)と三回受賞しています。

日本丸

船種(帆装型式) - 4檣バーク型帆船 総トン数 - 2278トン 全長 - 97 m 全幅 - 13 m メインマスト高 - 46 m(水面からの高さ)吃水 - 5.3 m(平均)総帆数 - 29枚 定員 - 138名 - ディーゼル機関による機走可能

日本丸II世

船種(帆装型式) - 4檣バーク型帆船 総トン数 - 2570トン 全長 - 110.09 m 全幅 - 13.80 m メインマスト高 - 43.5 m(船楼甲板からの高さ)(東京港のレインボーブリッジをくぐれる最大高さに設計されたと言われている) 喫水 - 6.57 m 総帆数 - 36枚(横帆18枚、縦帆18枚) 最大搭載人員 - 190名 - ディーゼル機関(2基)による機走可能 主機型式 - ダイハツ 右舷機:6DSMB-28NS 左舷機:6DSMB-28NSL(マストが船底まで貫通しているため主機を中心に配置することができない)

前述した日本丸の他に、日本丸と呼ばれた船があります。日本丸 (九鬼水軍)

古くは文禄の役(文禄元年(1592年)4月12日)、に参加した大安宅船である九鬼水軍の「日本丸」があります。当時の九鬼水軍当主九鬼嘉隆(戦国時代から安土桃山時代にかけての武将)自らが設計、元の名は「鬼宿(きしゅく)丸」と呼ばれていました。その堂々たる立派な姿に感じ入った豊臣秀吉によって「日本丸」と命名されたといわれています。兄弟船に「波切丸」(なきりまる)など同型艦が数隻ありました。その他にも説があり、、九鬼嘉隆は織田信長の命によって世界最初の鉄甲船を数隻作り、その中の1隻がこの日本丸であるとも言われています。この場合の説では信長による命名となります。

文禄の役では九鬼水軍の旗艦として数度の海戦に参加。『志摩軍記』には朝鮮勢の攻撃を寄せ付けないそのすごい活躍ぶりが記されています。文禄の役では多数の船舶が失われましたが、日本丸は生き残り日本に帰還しています。その後鳥羽に回航されて、九鬼氏の後に鳥羽城主となった内藤伊賀守忠重によって500石積み60挺立の船に縮小改造の上「大龍丸」と改名されました。これより以降は幕府の持舟であったことが残された絵によって描かれています。寛永年間の江戸を描いた『江戸図屏風』内の船行列には最大の船として、幕府の船印と船手頭向井氏の旗印を付けた「大龍丸」の姿があります。後に内藤家が断絶した後も、引き続き幕府より預かった鳥羽藩の持ち船として使用され、老朽化のため1856年(安政3年)に解体されるまでほぼ江戸時代を通して残存したとされています。もしこれが事実であれば260年あまりの船齢であったことになります。

こんなに船の寿命が長いのでしょうか?!一般的に言われているのが、木造船の寿命は長くとも20年程度といわれています。200年以上使用されたとすることにはかなり疑問点もありますが、実際に200年以上存在した木造船として、関船天地丸(1630年(寛永7年)、3代将軍家光の時代に建造されて、廃船となる幕末までの230年以上の間、将軍の御座船として存在しています。しかも廃船の理由は老朽化ではなく、幕末には軍船として旧式化したため)実例があり、維持管理しだいでは200年以上の存続も不可能ではないといえるでしょう。

日本丸(九鬼水軍)

大きさは全長は151.5尺(約46m) 全幅29尺(約9m弱)千五百石積み 百挺櫓で将士・水主(かこ)を合わせて180人が乗り組んだといわれています。大きさについては全長十五間(約27m)、幅五間(約9m)との異説もあります。甲板上に三層の楼閣を設け、大筒を三門備えた当時としては類を見ない巨船。帆は順風の時のみに使用し、漕走を主としたようです。

そして、明治時代にはイギリスで建造された東洋汽船所有の汽船、日本丸級貨客船「日本丸」があります。サンフランシスコ航路の貨客船として1898年(明治31年)より就航しましたが、1904年(明治37年)には海軍に徴用され、75mm砲2門などを搭載し特設艦船の一種の仮装巡洋艦として日露戦争に参加。日露戦争では日本丸を含む11隻の仮装巡洋艦が参戦しましたが、哨戒(見張り)などの任務が多かったため戦没はありません。

日本丸 (山下汽船)もあります。神戸川崎造船所で1936年(昭和11年)6月に完成した石油タンカーで、海軍に徴用されるまで樺太(サハリン)、ボルネオ、北米などの石油を日本へ運んでいました。1941年(昭和16年)9月には海軍に徴用されて宿毛湾や有明海などで洋上補給の訓練を経て、真珠湾攻撃、キスカ撤退などに参加。その後の1944年(昭和19年)1月14日に、航空燃料を満載して海軍のトラック島基地に向かう途中、アメリカの潜水艦の雷撃を受け大爆発を起こし16名の乗組員を乗せたまま沈没しました。