海の日といえば、海フェスタ!海の貴婦人といえば帆船

ティークリッパー(19世紀)

こちらも大型帆船ですが、今までの帆船と大きな違いはその速度。積載量より速度を重視していたので、「快速帆船」と訳されることもあります。中国からイギリスまで紅茶を運ぶためのティークリッパーですが、速さを競うようになった背景は、最初に届けられた新茶は非常に高値で取引されるため、船主に莫大な利益をもたらしたので、どんどん速さを競うようになり、やがてこの競争は「ティーレース」と呼ばれるようになりました。

現在、ティークリッパーは、熱狂的なファンも多いので、帆船模型の定番となっています。その姿は、多数の帆柱とスマートな船体を持っているので、とても美しい帆船です。有名なティークリッパーはスコッチウィスキーの名前にもある「カティーサーク」と「サーモピレー」です。ティークリッパーは外洋を高速で帆走できるように、標準よりも細長い船型が特徴です。「カティーサーク」は縦の長さは横幅の6倍に達しています。微妙な操船が困難になる細長い船型が可能になった背景には、蒸気機関によるタグボートが普及し始めて、タグボートに引っ張ってもらう出入港ができるようになったことが要因です。

イギリスで利用されたクリッパーは、輸送する荷物によりティークリッパー(茶)、ウールクリッパー(羊毛)と呼ばれます。これらの船の航海は、よりよい商機を得るために植民地~イギリス本国間で輸送競争(レース)となることがあり、後に○○~○○間を○日で到達といった最速記録が伝説的に語り継がれ、今でもイギリスのパブ談義の一つとなっています。

クルーズしたい貴方へ

カティサーク(Cutty Sark)

カティサーク (Cutty Sark) は、スコットランド語で短い (Cutty) シュミーズ (Sark) を意味し、ロバート・バーンズ (Robert Burns) 作の詩「タモシャンター」Tam o' Shanter に登場する魔女にから名前が付けられています。カティサーク号の船首像はカティサークを身にまとった魔女で、その手には馬の尾が握りしめられています。その魔女の姿は、しっかりとした体格と豊かな胸をもっていて、顔は意志の強そうな顎ですが醸し出す雰囲気は妖艶です。

全長:86メートル

全幅:11メートル

マスト高:15,6メートル

喫水(積載時):7メートル

総トン数 ( gross weight ):936トン

帆の総面積2,972平方メートル

積載量:通常1,325,000ポンド ( 601,010kg ) 、最大積載量は1876年に記録した1,375,364ポンド ( 623,855kg )

乗員:28名

ロンドン近郊のグリニッジで保存されている、カティサークは現存する唯一のティークリッパーです。野外展示をしていた為、痛みがひどくなったこともあり2006年11月から2008年にかけて、2500万UKポンドを投じて大規模な修理と整備を、あわせて、船の内外装を、一番魅力的だったとされる1869年建造当時の状態に復元すべく、その作業が開始されました。ところが、2007年5月21日、午前4時45分頃、カティサークの船体より火災が発生してしまいた。修復作業中ということもあり、焼失はもとの船体全体の10%程度、オリジナル部分の2%程度と比較的小規模で済みました。その後修復作業が再開されて、2012年4月25日、女王エリザベス2世によって一般公開の再会が宣言されました。修復作業前の長年の乾ドックでの展示の結果、竜骨へ多大な負荷がかかっていたため、船底の形の変形が認められたことを参考に、船体を3メートル持ち上げてドックの側面からの支柱で支える形での展示となっています。観光客は入場料を払えば船内や甲板の他に、船底を下から見上げることが出来ます。

サーモピレー(Thermopylae)

カティーサークのライバル。1868年11月8日処女航海に出帆してから、航路の最短記録を次々に塗り替えたサーモピレーは、一躍、最速の帆船として注目を浴びることになりました。福州/上海・ロンドン間の紅茶輸送航路では、100-110日前後での航海を続けています。

全長:212フィート(64.62メートル)

全幅:36フィート(10.97メートル)

トン数 GRT991トン NRT948トン

帆装形式:3檣シップ(フルリグドシップ/新造時)

英国の船舶登録ナンバーNo.60688

無線符号 WPVJ

サーモピレーが、初めて茶を摘んでロンドンに入港した日から1ヶ月半後、10年の工期を費やしたスエズ運河が開通しました。スエズ運河を汽船で通ることによって、イギリスと中国は2ヶ月以内の日数で結ばれるようになりました。航走速度では決して汽船に負けないティークリッパーたちでしたが、スエズ運河は無風。無風のためにスエズ運河は、帆船では通過することができないため、1870年代になると、ティークリッパーの時代は急速に終焉を迎えることになりました。そして、サーモピレーは、1878年を最後に茶輸送専従だった運用から外れることになり、1881年に最後の茶輸送を行った後、オーストラリアからの羊毛輸送(ウールクリッパー)につくことになりました。

グリニッジで保存されているカティーサークとは違い、サーモピレーは現在海底で眠っています。

サーモピレーは1895年にポルトガル政府に買い取られ、名前をペドロ・ヌネス(Pedro Nunes)と改められました。そして、練習帆船となり、船員養成のための航海を1903年まで続けていましたが、その後は帆装を全て失い、給炭用のハルクになりました。

最期の仕事は、1907年エストリル近郊、カスケイ湾での海軍イベントでした。ポルトガル海軍のイベントの締めくくりに実弾射撃公開が行われ、その実船標的となりました。ポルトガル王室一家臨席のもと、多くの賓客が見守る中、サーモピレーはポルトガル海軍艦艇からの砲弾が撃ち込まれました。しかし、サーモピレーは容易には沈まなかったため、魚雷を撃ち込まれ、船体が炎に包まれるまで持ちこたえました。その残骸は、今も海底にあることが確かめられています。

浪漫溢れる船