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帆船の歴史 ~紀元前からエジプトやアラブ、中国での帆船

帆船とはどのような船でしょう!文字通り「帆」に風を受けて推進力とする船のことです。

初期の帆船(紀元前)はどのような物だったのでしょうか?

残念ながら、人類がいつ帆船を発明したかは良く分かっていません。エジプトのナイル渓谷の遺跡の壁画(約8000年前)に、帆をもった舟らしき壁画が残されています。また、紀元前4000年以前のエジプトの陶器の挿し絵にも「風を受ける帆を備えた船」の存在を確認することができます。古代地中海の帆船は1本のマストに四角帆が船の前後方向に対し斜めに張られたものでしたが、紀元元年前後のエジプトでは、2本のマストを持つ帆船も現れだしました。

アラブの帆船(7世紀~18世紀)

アラブ人は、イスラムの共同体や信用制度を基礎として、インド洋を中心として、東アフリカから果ては中国にまで及ぶ、帆船による海上貿易ネットワークを構築していきました。よってその時代に、インド洋は「イスラムの海」の様でした。(16世紀に勢力図が変化しますが、ポルトガルなどヨーロッパ諸国が進出から)『アラビアンナイト(千夜一夜物語)』の「船乗りシンドバッド」は、10世紀ごろのアラブ人船乗りの世界を描いていると言われています。その時代にアラブ人は独特な海図と航海術を発展させたことにより、夜間の航海も可能にしました。また同海上貿易ネットワークは、インド化したアラブ人を出現させたように、アラブ化したインド人船乗りも出現させました。多くのインド商人が帆船でソファーラ(モザンビーク)周辺に行き、高炉や電気炉などで鉄鉱石を還元して取り出した鉄(銑鉄せんてつ)を高額で買い付けて回り、インドに輸出していた模様なども、アラブ人イブン・アル・ワルディの旅行記に記されています。アラブ独自の帆船は三角帆が特徴です。今でもザンジバル島(アフリカ)、パキスタン、モルディブ、インドネシアなど広範囲で使用されており、「ドーニー」(ドーニィ)や「ダウ」などと呼ばれています。

その頃中国ではどうだったのでしょうか?!

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中国の帆船(8~18世紀)

北宋時代に高麗へ派遣する使節用として造られた帆船は全長約110メートル積載量1100トン以上で、見た事のない大船だと記されています。一般の貿易船としては、積載量275トン程度の大船から万斛船と呼ばれる600~900トン程度の巨大帆船まで様々な種類の船が用いられました。戦闘船では、なによりも速度が重視され、一日千里を航行すると記録されています。

ベネチアの旅行家マルコ・ポーロ(1254年 -1324年)は20年近く元朝のクビライ・ハーンに仕えました。そのときの経験を口述した『東方見聞録』によって記録は残っていますが、元朝の南方交易用の帆船は、4本のマストを持ち乗員は60名程度で、竜骨(キール)によって船体は高い強度を保っていること、そして浸水しても沈没を免れる隔壁構造の船体を採用していること、羅針盤によって正確な遠洋航行が可能であることを報告しています。

中国の明朝では鄭和(ていわ明時代の武将)が1405年から1433年にかけて7回の大航海を行いました。航海した範囲は東南アジア、インド、アラビア半島、一番遠くではアフリカ東岸(現ケニアのマリンディ)にまでに渡っています。最大の船は宝船(ほうせん)と呼ばれてその全長は120メートルを超えるような大型船だったといわれています。鄭和が寄港した各地の港でも鄭和の評判は非常に高く、ジャワ・スマトラ・タイには三宝廟が建立されて祀られています。鄭和死後の明は再び鎖国的となり航海は行なわれなくなりました。

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