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帆船の歴史 ~大航海時代とスペイン無敵艦隊

西欧諸国の大航海時代(15~18世紀)

ポルトガルのエンリケ航海王子(1395年 - 1460年)は、インド航路を再開拓するために、船乗りの援助や帆船の改良に力を注いだことでよく知られています。大航海時代のポルトガルでは、バルシャ(現在の意味としては小型帆船やボートを指す言葉)は地中海での近距離交易のほかに初期の探検にも用いられていたそうです。バルシャですが、バルカという言葉でも呼ばれていて、キャラベルやキャラックの登場以前、古くはレコンキスタ(718年~1492年までに行われたキリスト教国によるイベリア半島の再征服活動)の頃から、30トン程度の1本のマストの小型船として海洋史に登場しています。

当時、東方との交易はイスラム商人が高い関税をかけていたために、イスラム商人を通さず直接、中国やインドなどから陶磁器、鉄製品、綿織物、香料、香辛料、絹などを入手するルートを開拓する必要がありました。そのため、帆船には様々な改良が加えられていきました。それまでの帆船は1本マストでしたが、この頃から3本マストの帆船が現れました。キャラベル船の誕生はそれまでの西欧の貧弱な帆船と比べ活動範囲を大幅に拡大することができました。キャラベル船は15世紀頃のポルトガルで沿岸輸送船や漁船をベースに開発されました。キャラベル船は3本のマストに三角帆(ラテン帆)を採用することで、逆風でも前進できることが特徴です。

ポルトガルがキャラベルの造船技法を国家機密として厳重に秘匿したため、キャラベルの開発と成立の経緯についての資料はほとんど残されていません。キャラベル船は当時の最新の技術を詰め込んだハイテク兵器のような存在だったと思われます。

クリストファー・コロンブスの第一回目の航海におけるサンタ・マリア号の僚艦の、ニーニャ号とピンタ号がキャラベル船です。このキャラック船は15世紀南西ヨーロッパで登場しました。キャラベル船とほぼ同時期に開発されたキャラック船は、遠洋航海においてそれまでの西欧の旧型帆船と比べ多量の輸送を可能にしたことにより、大西洋やインド洋を越えインドや中国との南海交易に参加することを可能としました。キャラック船ですが、北方船の横帆と南方船の平張り船体の双方の流れを受け継いだ帆船です。「キャラック」という名はアラビア語で「商船」を意味する単語が語源です。

コロンブスの乗艦(サンタマリア号もキャラック船)によるアメリカ大陸の発見(1492年)、ヴァスコ・ダ・ガマによる喜望峰を経由するインド航路の再利用(1498年)がなされました。キャラック船の型は丸みを帯びたずんどうなシルエット、大きさは200t程度の小型船から1000tを超える超大型のものまでありました。乗組員も50人程度から兵士と船員合わせて1000人に達するものまでと多岐にわたります。の船型は舷側に大砲を並べた最初の船でもあります。キャラックはその積載力を生かして軍用商用の両方に活躍し、新世界探索にも用いられるなどオールマイティーに任務をこなしました。1519年から1522年にかけてフェルディナンド・マゼランによる世界一周航海(ビクトリア号)もキャラック船です。キャラック船の主な特徴はフォア、メイン、ミズンで構成される3本のマストを持つことです。フォアマストとメインマストには横帆が、ミズンマストには縦帆が用いられていました。後に船体が大型化するに従って4番目のマスト(アフタミズンマスト)が、ミズンマストのさらに後方に追加されます。

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軍艦への発展(16~18世紀)

スペイン無敵艦隊

16世紀に入ると帆船の主流はキャラベル船、キャラック船からガレオン船に代わっていきました。ガレオン船はキャラックの発展型で、キャラック船より大型になり、武装と積載量を増強した軍用艦です。当時「最も戦闘に適した船」として設計されたガレオンの主な用途は、舷側を向けあっての敵艦との砲撃戦でした。アルマダ海戦においてスペイン無敵艦隊の主力を成していたのもこのガレオン船です。16世紀半ばから100年間、文字通りに無敵を誇っていました。マストの数は3~4本で、その構成はキャラックと同じように横帆と縦帆が組み合わせられました。船尾に高い楼閣を備えていることや、船尾形状が切り落としたように四角くなっているのが外見上の大きな特徴になっています。ガレオン船には砲甲板が設けられていて、カルヴァリンやデミカルヴァリン砲といった重砲が据えられます。また城のようにそびえ立った船首楼と船尾楼には小型砲が配備され、至近距離に迫った敵艦の兵員に向けて散弾を撃ち込むことができました。

軍船も同じように、ガレー船からガレオン船に代わっていきました。本来、ガレオンとは「大型ガレー」を意味するはずですが、その語意で使われたことはありません。しかも同じ船が「ガレオン」「ガレアス」「ガレー」「バーク」と様々な名称で呼ばれているため、用語としては混乱しているのが実情です。ガレオン船は船首楼より高い船尾楼を持つことが特徴です。従来、竜骨の長さは船幅の2.5倍程度でしたが、3倍まで船体の全長が長くなったことも特徴に挙げられます。ガレオン船は商船としても用いられましたが、大量の大砲を搭載できたことから主に軍艦として用いられてきました。大航海時代の主役はポルトガルとスペインでしたが、1588年、フランシス・ドレークらが率いるイギリス艦隊がスペインの無敵艦隊を破ったことにより、状況は一変しました。スペインは大西洋の制海権を失い、イギリスが一大海運国として台頭するきっかけとなりました。

17世紀後半から18世紀にかけて、軍艦は艦隊を組み、大火力による艦隊決戦をしばしば行うようになります。戦列艦はイングランド海軍による軍艦の区分用語です。海戦術が進歩し、それまで各艦ごとにばらばらに機動して砲撃戦をしていたものが組織戦に移行します。そうしたなか縦一列に連なる艦隊を編成して敵艦群に側面を向け、一斉射撃を持って撃沈する戦法が編み出されました。戦列艦の特徴としては、ガレオン船にそびえ立っていた巨大な船首楼と船尾楼が無くなり、船首から船尾まで平坦な艦型になったことがあげられます。ガレオンの船上のやぐらはもともと接舷戦闘(海戦において大きな位置を占めていた)用に作られたものだったのでしたが、大砲の射程の増大によって交戦距離が広がったため、トップヘビーで舵の効きを悪くするだけの船楼(せんろう、船上のやぐら)は無用の長物になってしまいました。で戦列艦にはたくさんの砲兵が乗り込むようになりました。2~3層の砲甲板に大量の大砲が並べられ、砲弾だけで大型艦を沈められるほど強力な砲撃が可能になりました。

。この時期に行われた有名な海戦としてトラファルガーの海戦(1805年)が挙げられます。艦隊の主力は「戦列艦」と呼ばれる2~3層の砲列甲板に合計50~130門の大砲をもつ艦種でした。戦列艦は20世紀の軍艦における戦艦や巡洋艦に相当します。戦列艦に比べ軽快な、1~2層の砲列甲板に合計20~50門の大砲をもつ「フリゲート」と呼ばれる艦種も登場することにより、18世紀初頭には従来の「舵取り棒」に代わって操舵輪が用いられるようになり、より効率のよい操船が可能になりました。

浪漫溢れる船