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カティーサークVSサーモピレー 直接対決 1872年

1872年には、カティーサークとサーモピレーの有名な紅茶輸送競争が展開されました。1872年6月18日、両船は同時に上海を出港、貨物として紅茶を積載し一路ロンドンを目指しました。どちらの船も、速達を優先し積み荷はやや減らしての航海でした。

上海を発した直後の東シナ海はほとんど凪の状態だったため、両船は船足の遅さに苦しみ、ほとんど付かず離れずの状態にありました。スンダ海峡を抜けるときには、サーモピレーがややリードしていましたが、その差はわずか2.4kmほどの僅差でした。そこから、インド洋に入り、貿易風の影響を強く受けるようになると、カティーサークが一気にサーモピレーを引き離し、サーモピレーは8月14日には650kmちかく引き離されていました。ところが、この日(8月14日)カティーサークは強風で舵を失ってしまいました。当然ながら、ケープタウンでの修理を余儀なくされることになってしまいました。これに対しサーモピレーは順調な航海を続け、カティーサークを抜き返し、10月11日ロンドンに入港し、逆転勝利を収めることになりました。カティーサークがロンドンへ入港したのは10月18日です。サーモピレーは115日、カティーサークは122日の航海という結果になりました。

しかし評価としては、この競争でより高性能を発揮したのは、舵を失う難航にもかかわらず、7日遅れまで挽回したカティーサーク!と評されることになり、カティーサークとムーディー船長以下乗組員たちは、高く評価されることになりました。サーモピレーにとっては、その最速船としての名誉にやや傷が付く結果になってしまいました。そしてこのティーレースとして活躍していたこの時期ががティークリッパーの絶頂期でした。(その後、前述のスエズ運河が開通)

クルーズしたい貴方へ

サーモピレーとカティーサークがティークリッパーとして活動できた期間は短いものでしたが、同一航路における航海の記録を比較しましょう。

1871年 サーモピレー 105日 --- カティーサーク 110日

1872年 サーモピレー 115日 --- カティーサーク 122日

1873年 サーモピレー 100日 --- カティーサーク 117日

1875年 サーモピレー 112日 --- カティーサーク 123日(すべて・上海ロンドン航路)

上記の結果をみると、終始サーモピレーはカティーサークに対して優勢でした。同一航路でサーモピレーが、カティーサークに対して後れをとったのは、1876年の福州・ロンドン航路のサーモピレーは118日、カティーサークは109日。この時のみです。

この実績があるため、今でも「サーモピレーこそ最速のティークリッパー!」という主張も根強く、イギリスのパブの席での話題の一つになっています。そして、両船の速度差を、船の性能差ではなく、天才肌のサーモピレー船長ケムボールと、堅実なカティーサーク船長ムーディーの性格の違いだ!という声もあります。ただ、ライバルとして知られるサーモピレーとカティーサークが同じ時期に同じ航路を走ったのは1872年の1回きり。そしてこの競争のみが、直接的な競争になったのもこの1回きりです。

アメリカでのクリッパー

アメリカ合衆国ではクリッパーはどのように利用されていたのでしょうか?!

アメリカではちょうどゴールドラッシュの時期でした。19世紀前半に、東海岸からゴールドラッシュで賑わう西海岸へ人員や資材を、そして西海岸から東海岸へ金を運ぶための船として活躍していました。南米ホーン岬回りやパナマ地峡経由の航路をいかに早く到達できるかが重要視されていました。しかしこれらの船は1869年、アメリカ大陸横断鉄道の完成によって急速に衰退してしまいました。

浪漫溢れる船
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でもこの日立 アパートって名前、どうにかならないのかな 。あれっ、この日立 不動産って何だろう?しかも日立ってどこだ?聞いたことないけど、大学からそう遠くないし、おまけに家賃もそんなに高くない 。