海の日といえば、海フェスタ!海の貴婦人といえば帆船

帆船の衰退、それから・・(20世紀~)

20世紀初頭にはアメリカの7本マストの「トマス・W・ローソン」や、ヨーロッパ~チリ間の硝石輸送で大規模な帆走商船隊を編成したドイツのF・ライツ社が所有した巨大な5本マストの船「プロイセン」、イギリスでは、太陽光や矢印など、いくつかの大規模な4本マストバークシィ(BARQUES)など、鉄・鋼鉄製の船体で大型・多マストの帆船が建造されました。発動機船、蒸気船の設計が進歩することによって、帆船の設計も進歩していきましたが、残念ながら帆船は海運の主役ではなくなってしまいました。なぜなら、動力船は帆船よりも、かなり大きく建造することができ、帆船と違って海流や風などに依存しないで船を動かすことができたからです。

もちろんイギリスも例外ではなく、19世紀末から帆船の建造そのものが行われなくなっていました。フランスでは1881年より帆船に対する補助金制度というものが存在していたため、帆船時代の末期ですら多くのフランス籍の大型商用帆船が就航していました。フランス帆船はたとえ空荷で世界一周をしたとしても、十分に利益がでる。とまで言われていました。補助金によってかなりの金額が補填されていたようです。

クルーズしたい貴方へ

第一次世界大戦でドイツ潜水艦による商船無差別攻撃(無制限潜水艦作戦)などにより数多くの商用帆船が失われしまいました。第一次世界大戦という戦時中のため、貨物用としての利用に大きな需要がありました。 しかし、多くの連合軍の船はフランスと英国の港で立ち往生していました。そして、フランスの補助金制度も打ち切られたため、所有していた英米仏の船会社は貨物運航を汽船へと切り替えることになりました。ドイツのライツ社は戦後賠償で失った船の一部を買い戻して再建を図りましたが、結局1930年代前半迄に船員養成用の数隻を残して他は売却。帆船から汽船にと船は変わっていきました。両大戦間の時代はフィンランドの船主グスタフ・エリクソンが世界中で放棄された高性能の大型帆船を買い集めて大規模な帆走商船隊を編成し、ヨーロッパ~オーストラリア間で穀物輸送に当たっていました。その当時はもう汽船の時代になっていましたが、航海士の免許に帆船の乗船経験を必要とした国が多かったため、エリクソンの船団にはそのような実習生が多数乗船し、人的な面での需要もまだ残っていました。

しかし、エリクソンの帆走商船隊も第二次世界大戦で大半の船を失い、1947年の彼の死と共に終わりを告げた。最後まで残っていたのは南米のチリ沿岸で運航されていた1隻と、西ドイツの船主が練習船兼穀物輸送の貨物船として使用していた2隻でした。1957年9月22日に西ドイツの「パミール」が南大西洋上で台風の直撃を受けて遭難沈没、大半の乗員と実習生が犠牲となる惨事が起きてしまったため、姉妹船の「パサート」も運航継続を断念、翌1958年6月18日にチリ沖で肥料輸送に就いていた「オメガ」も沈没し、ここに大型商用帆船は海上から姿を消すことになりました。それからは、大型帆船の活躍の場は海軍の士官や民間の船員養成の練習船など、限定された場合でのみの利用となりました。

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